ところで実習先でのあだ名、予想外のものでした。っていうかおまえらよくそんなの思いつくなーって感じ。以下、呼ばれたあだ名を思いつくままに書いてみる。
「ルパン」
昔働いていた塾でも言われていたし、これは予想できた。もみあげが長いからねぇ。机間巡視(授業中一人一人の机を回って、様子を見ること)していると、生徒から「ルパン、怪盗だからってプリント盗み見んといてよ」とか言われる。物まねもさせられる。
「岡村さん」
これは予想外。髪型がナイナイの岡村隆史に似ているらしい。「向こうが僕の髪形をまねたんだよ」と言っておく。
これも予想外…って誰だよメンデル。とか思っていたら、三年生は今の時期、理科で遺伝をやっているらしく、資料集にメンデルさんの写真が載っているらしい。似ているらしい。「向こうが僕の髪形をまねたんだよ」と言っておく。ってつるつるじゃん。http://homepage2.nifty.com/halhy/HighSchool/iden/iden.htm
「下の名前呼び捨て、もしくは君付け」
ホームルームにしていた3-5のみなさまから。男の子は呼び捨て、女の子は君付けが多かったかな。あれー、みんな「先生」って言葉、入れ忘れてるぞー?でも下の名前で呼ばれるの久しぶりだったからうれしくもあった。なんか僕の周りには、男性は名字で呼ばれ、女性は名前で呼ばれるという謎の暗黙の了解があって(東北地方の習わし?)、僕は仙台に来てから名字で呼ばれるようになった。やっぱり”given name”のほうがいいよね。
それにしてもメンデルか…突如親近感が湧いてきたな(一方的に)
教育実習を終えて仙台に戻ってきました。ただいまー。
たくさんの笑顔に出会えた三週間だった。
実習生は先生側と生徒側のちょうど中間に位置していて、状況によって立場は変わる。例えば、授業で教えている時は生徒たちにとっては先生であるが、昼休みや放課後に生徒たちと話したり遊んだりしている時は生徒たちにとって友達である。放課後、下校時刻が過ぎて日直の先生が見回りに来るまで教室ではしゃぐ、それは本物の先生にはできないことだし、実習生の特権だと思う。そんな風に僕は生徒たちと目線を同じにして過ごすことができた。授業、給食、学活、休み時間、部活…いうなれば、中学校生活をもう一度やることができたのだ。
一方で、教師の目線からも学校生活を送ることができた。ただなんとなく過ごしていた中学校の生活、それは実は先生たちによる綿密なる計画と深遠なる配慮とによって守られていたのだと気づく。
どちらの目線で学校というものを見るにせよ、共通するのは「笑顔」だと思う。生徒たちにとっては、学校は友達がいて、仲間がいて、一緒に時間を過ごすのが楽しくて笑顔があふれる場所であるし、先生たちにとっては、自分たちがする仕事が生徒たちの笑顔につながっていく、それがうれしい。
教師は、別に何かを教えることだけが仕事であるわけではない。共に同じ時間を過ごし、共に笑い、共に学ぶ。「教育(教え育てる)」という一方通行でなんか偉そうなものより、「共育(共に育つ)」という双方向的なものこそが、教育のあるべき姿じゃないかなと思った。というより、その方が楽しいよね。
とても楽しい、そしてあたたかい時間を過ごさせてもらった実習先の中学校のみんなに感謝したい。彼らの笑顔を胸に、また思いを新たにして、一ヶ月後に迫った教採に向けてがんばりたい。
来週から三週間、地元の中学校で教育実習があります。不安な半面、やっと教壇に立てると思うと、もう楽しみでしかたない。どんなあだ名付くかなー。
最有力候補 → 坊主先生
あー!就活に向けて髪なんて切るんじゃなかった!実習終わった最後の日に、
「先生、三週間ありがとうございました!」
「これ、僕たちからです!」
みたいな感じで生徒たちから寄せ書きの色紙もらうじゃない。でも真ん中に「坊主先生へ」なんて書かれていたら泣くね。別の意味で。
今日は東京で会社訪問+友人に会う予定だから、そのまま地元へ帰省します(今はまだ仙台)。実家ではインターネットが出来ないけど、携帯でたまに更新する予定です。携帯って便利だね!つながってるね!っていうより、つなげられてるんだけど。携帯が主体で、人間が客体。
それでは行ってきます。
話の中で印象に残っていること。
僕はもちろん教員になることが目標だ。けれど、教員の世界って狭いから、その前に社会人としての経験を積んでからなれば視野の広い教員になれると思って、会社の面接もいくつか受けている(就活自体も社会勉強だと思ってるけど)。だけどこの一言は効いた。
ビジネスモデルとして、悪く言えば「お客をだます」ことを利益構造にしている会社もある。自分なら買わないようなもの(またはサービス)を販売する営業マンなんてのもその一例だ。それは語学学校の英会話の授業であったり、生命保険であったり、いろいろあるだろう。売れなければ話にならないから、話術を駆使して商品価値を実際より高くみせかけ、買ってもらう。それでお客が購入してくれ、商品に満足して笑顔を見せても、販売した側は心苦しいばかりではないだろうか。少なくとも僕は笑えない。
働くってことは、自分のためだけにするんじゃないんだね。そこには他人の顔も見えてくるはず。「働く」は「傍(はた)を楽(らく)」にするって意味だって誰かが言ってたな。
まだまだいろいろ話はあったんだけど、続きはまた。この交流会、来月もあるらしい。今度はどんな人に出会えるかな?
最近、ついにペン回しができるようになったんですよ。僕が高校生ぐらいの時から周りの人がやり始め、何度やり方を教えてもらってもできず、劣等感にさいなまれていた日々。代わりに巻き舌が出来ない友達をからかうことでなんとか自尊心を保ってきた。だがこれで僕も回される側から回す側へ仲間入りですよ(回される側?)。
あれ、ただでさえくるくる回って授業中とか気になるのに、たまに失敗して落とすやついるじゃない。あれが一番気になる。ペンじゃなくて頭を回転させろよと思う。
とはいえ、いざ自分が出来るようになったら、回したくて仕方がない。っていうかもう気づいたら回しているんだよねぇ。初めて自転車に乗れるようになった子供が、毎日乗りたくて仕方ないのと同じ。図書館でペンを回し損ねて床に落としているやつがいたら、それは僕かも知れません、ごめんなさい。注意されたらさすがに止めるしかないけど、きっと最後にこんなセリフをいうんだ。
「それでもペンは回っている。」